創業から半世紀を超える鉄筋加工メーカー。コンクリート二次製品向けの製品は職人気質による手加工がメインで多品種小ロット、短納期が売りだが、住宅基礎ニーズにもしっかり対応している。4代目の畠山社長は同社の下請け加工会社の出身で元銀行員という異色社長だ。

JHR会員うちの会社インタビュー 語る人
秋田新産線材株式会社・代表取締役 畠山靖光 氏

畠山社長 
朝6時半に出社する仕事人間というが、小型船舶1級を持っていてリタイア後の釣りが楽しみ。今はサザンオールスターズの推し活中で全国どこでも行く。「去年45周年記念ライブが当たり茅ヶ崎にいった」とか。54歳。
JHR会員うちの会社インタビュー」とは 
コロナ禍で生活や社会の姿が大きく変わってきましたが、日本住宅基礎鉄筋工業会の会員企業も新しい時代に向けて一生懸命活動しています。こうした会員企業の現状や今後の目標などについて、“うちの会社”を代表者に語っていただきます。

会社の創業はずいぶん古いそうですが、畠山社長は何代目になりますか。

畠山 創業は昭和43年で46年に法人化しました。秋田新産という名前は、当時秋田が新産業都市に指定されので、そこから社名を取ったと思います。それで秋田新産線材株式会社にしたようです。ですから社歴は今年で56年目で、私は4代目の社長に就任して6年目です。
 この会社は仕事仲間が集まって創業した会社のようで、もともと田沢湖の製材屋さんが二次コンクリート製品メーカーの社長さんの知り合だったので、こういう仕事があるからやってみないかということでスタートした。当時コンクリート二次製品メーカーでは結構溶接金網などを内製化している会社が多くて、その鉄筋加工の部門をやってみようということだったと思いますが、当時を知る人がもうほとんどいませんね。

畠山社長は最初からこちらですか。

畠山 私が来たのは平成11年です。当時加工部門専門の下請けを私の父の会社がやっていました。私は大学を出て地元銀行に入ったので父の会社を継ぐつもりはなかったのですが、6年目位の時に父の会社を手伝うことになりまた。私が戻って1年位して父が脳梗塞で倒れ、その後1年位経っても再起が難しくなった。そんな時に前社長に「こっち手伝ってもらえないか」と言われたんです。それで父の会社を手伝って1年も経たないうちに、秋田新産の事務方を手伝うようになった訳です。私は二十代後半で、鉄の世界のことなど全く知らなかったんです。父の会社で現場やいろいろやりながらある程度仕事を覚えつつあったのですが、この会社でまた元の銀行と同じ事務方に戻ることになったのです。

こちらの会社に入ってみて、溶接鉄筋の仕事をどう思いましたか。

畠山 うちの会社は手作業で特殊加工する鉄筋加工会社でした。今の住宅基礎鉄筋の加工はほとんど機械でしていますが、それと違って手作業で曲げたり溶接したりする工場でしたので、特殊化工の職人気質の方たちばっかりの会社だったんです。私は経理を手伝いながら、年配の部長さんがいたのでその人についてお客さん回りをしながら仕事を色々覚えました。
 うちの住宅基礎鉄筋の製造は平成4年から始まっていましたので、私が入社した頃はやっていたと思いますが、本業のコンクリート二次製品メーカー向けの鉄筋加工がほとんどでした。今でもそちらの仕事が大きく8割以上はコンクリート二次製品向けの鉄筋加工です。BRSへの参加も2016年からですので後発です。元々住宅の基礎の仕事はしていたのですが、同業他社では図面から全部拾い出しとかをやっていますが、うちの会社にはそういった専門的な部署がないのでお客さんの要望に応じて作る受注専門でやって来ました。

受注専門の会社が新たに評定取得のきっかけはどんなことでしたか。

畠山 最初は鉄筋問屋さんから言われたのがスタートです。当時うちも独自のダブル溶接のパテントを持っていたのですが、それは住宅用ではなかなか難しいとなり、やっぱり評定だということでB評定を取ることになったわけです。
 ただ、うちの評定品がまだまだ地域の方々に熟知されないので今マーケット的には少ないんです。その理由の一つは得意先が地元の基礎屋さんなんですが、直接的な取引ではなく間に問屋さんが入っているからなんです。
 でも秋田の基礎屋さんでも手組の人は少なくなってきてユニット化製品がだんだん普及してきていて、工場生産品のユニットを使って工期を短く仕上げるっていうことも多くなっていますので、ニーズは随分出てきていると思います。ただ、うちの製品は現場への納品もほぼ問屋さんがやってくれるし、工場で加工した製品も問屋さんが全部引き取るので、うちで配送することがありません。昔からそのスタイルでやってきているので、うちは基礎鉄筋ユニットのパネルを作るだけです。問屋さんが自前でスラブ筋とかの鉄筋を在庫していて、現場配送するときにパネルと鉄筋を抱き合わせて持っていくという形が多いですね。うちは作るだけなので、現場のニーズが見えないところもありますね。

本社工場

コンクリート二次製品向けの鉄筋加工の方はどうですか。

畠山 こちらは自前の運送で県内一円と岩手、山形、宮城の一部に出しています。山形には工場があります。これらは全てコンクリートの二次製品メーカーさん工場への納品です。その先は全部ゼネコンの現場になります。製品的にはU字溝とか擁壁だとかに使われています。うちは下請け加工に徹しています。
 市場的には東北大震災以降はコンクリート二次製品の需要もかなり大きかったのでうちの仕事もしっかり増えました。それも一昨年ぐらいから終わりになってきてまた前に戻りつつありますが、気候変動で最近は自然災害も多くなっていて秋田では去年も一昨年も大きな水害がありましたので、今年は災害復旧工事がいろいろ出るだろうと思っています。

全国的な人手不足ですがこちらの生産体制はいかがですか。

畠山 うちの工場は35人位いますが、ほぼコンクリート二次製品メーカー向けの人配置です。住宅向けはマルチ溶接機があるのですが、みんな二次コンクリート向けと兼用になっていて、専用の人員配置ではなくて工程の中に住宅向けの加工を入れてやっています。評定品は指定機械で製造しますが、製品はコンクリート二次製品向けとやりくりがつくので、住宅の工程を途中にはめ込んでパネル等を作っています。
 工場の人員では、現状は外国人が必要なほどには仕事がひっ迫していないという感じです。でも日本人の若い人は来てくれないので、みんなベテランの人たちが工場を担っています。平均年齢が上がって問題なんですが、秋田の場合若い人たちはみんな県外に出ていくし県外に出るとなかなか戻ってこないですね。社員は20代も30代の1人2人いるのですが、50~70代も2~3人います。最年長は今78歳ですね。皆さん全然元気です。

モノづくり中心の経営ですが、今後はどのような展開が必要ですか。

畠山 今後とも、うちの会社のスタイルは短納期で間違いなくお客様に納めることです。二次製品もそうなんですけども、機動力で納期をできるだけ短くして製品を納品するというのは、うちの昔からのスタイルです。こういう面では長年信用してもらっていると思います。受注してから大体2、3日で納品することを普通やってます。これは二次製品も同じです。短納期で多品種小ロットの生産で配送の方もそれに対応していますね。

住宅関係の基礎鉄筋の生産はどれくらいの量をやっているのですか。

畠山 棟数は把握してませんが、去年の実績で問屋さん向けの地元住宅への基礎鉄筋は400トンで、そんなに量は多くありません。パネルだけの製品ですから、1棟のトン数が他社さんのように1トンとか1.5トンまではいかないと思います。その他ハウスメーカーの下請けが1000トン位で、会社全体では年間で1400トンです。
 コンクリート二次製品向けの製品は3000トンも含めると、去年は年間4400トンぐらいの生産量でした。売上は、前年度は10億円ぐらいです。ここ数年ずっと十億位です。住宅分野の売上シェアは2割程度です。

今後の会社の方針については。

畠山 住宅減少県の秋田で住宅向けはどうなのかと考えますが、まず底堅い需要は少なからずあると思います。需要のある限り住宅向けは続けていきたいし、本業のコンクリート二次製品メーカー向けの加工も継続的な需要もありますのでしっかり対応していきたいと思います。機械化して溶接ロボット等も設備したいのですが、何分最終加工は手で一つ一つやっているので、非常に効率は悪いんですが絶対必要とされる業種ですね。
 今後は新たな製品開発も求められると思いますが、うちの工場の生産スタイルである多品種小ロットと短納期でフットワークが軽いことが大切ですので、それらを引き続き行っていきます。これから秋田は洋上風力の一大基地として数年がかりの建設が始まりますが、そういう面でもコンクリート二次製品向けの需要、関連の住宅需要もあると思うので対応していきたいと思います。

工業会に対して何かご意見在りましたらお願いします。

畠山 入会して7~8年ですが、工業会にいって色々情報交換をしたいと思います。なかなか人材が整わないところもあって難しいときもありますが、是非全国の会員の方々に直接お会いして工場での検査や評定のことなどについて色々情報交換をしていただきたいですね。

■会社プロフィール
本社・工場:秋田県秋田市寺内字神屋敷295番地67
 天童営業所:山形県天童市荒谷字荒谷原2013-70
年 商:10億円
従業員:35名