長年鉄筋工事を行ってきた水俣会長が、ユーザーの勧めもありユニット鉄筋に一から取り組んだのがセイシンユニット。「社員は全員家族。量の拡大でなく1つ1つの仕事を大切にして、その中でもっと花が咲かせたい」と、水俣会長は語る。
JHR会員うちの会社インタビュー 語る人
株式会社セイシンユニット・取締役会長 水俣孝志 氏
「JHR会員うちの会社インタビュー」とは コロナ禍で生活や社会の姿が大きく変わってきましたが、日本住宅基礎鉄筋工業会の会員企業も新しい時代に向けて一生懸命活動しています。こうした会員企業の現状や今後の目標などについて、“うちの会社”を代表者に語っていただきます。
セイシンユニットは以前の成信基工を引き継いでスタートですが、これまでの経緯、今後の展開などについてお伺いしたいと思います。
水俣 私は鹿児島市の出身で1957年生まれで66歳になります。大阪に出てきたのは19歳の時で、義理の兄貴が鉄筋屋をしていたので、そこで17年位鉄筋一筋で仕事をしてきた。当時少林寺拳法をやって3段までなったんですが、そこまで熱心にやると仕事と両立ができなくなった。それで13年やった少林寺拳法を思い切って止めて仕事一本にしたんです。義理の兄貴のところで工場を新築して加工センターをやることになり、私は当時現場を担当していたのですが止めて平成6年から鉄筋加工を2人で始めました。最初は屋根なしの青天井の工場でした。
泉佐野で個人で水俣鉄筋工業所としてスタート、平成9年に有限会社水俣鉄筋工業にして、平成18年に株式会社ミズマタにしました。その間、平成14年に大東建託と仕事の付き合いが始まりました。平成12年位から二次下請けで鉄筋工事をしていたんですが、平成14年に協力業者として入って20年ほどになります。
ちょうど大東建託がどんどん伸びていった時期ですね。
水俣 当社のメインの仕事が大東建託になってきて、マンションとか共同住宅とかいろいろ工事をしていました。共同住宅では1棟4戸とか5戸、6戸と大きくなるので、基礎の鉄筋は手組でやっていたんですが、作業も品質管理も検査も大変でした。そんな時大東建託の資材の方からユニット使えませんかと言われた。それで色々探してユニット鉄筋屋さんに頼んで作ってもらって、それを自分の所で現場に合うように加工してやったのが始まりです。ユニットを使うと、現場はきれいに納まり、大東建託では社内検査等の検査が3回あるのですが、すんなりと通ったので、それからはユニットを外注に出してやってきた。
その後10年間位、ユニット鉄筋の加工は外注でやってきたんですが、その代金を計算したら年間4500万くらい支払していた。それで自分でやればいいじゃないかということで独断で自社で作ろうと、岸和田に工場を借りて始めました。
最初は、何処をどうしたらいいのか、誰に何を相談していいのか分からない。工場は息子で代表取締役社長の水俣直樹と阪本営業部長、成信基工からの工場長・花田の3人でした。阪本部長には片道1時間かけて知り合いのユニット屋さんに拾い出し・積算の勉強にも行ってもらいましたね。それで私の40年来の古い知合いで智識・経験豊富な古屋さんに相談役で来てもらい安心してユニットの生産が出来る様になりました。ユニット鉄筋の会社は、以前の成信基工を引き継ぎセイシンユニットとしたのです。うちの実習生は創桐さんの研修センターから来ているので、そんな関係で成信基工さんのことを知りました。
セイシンユニットはどんなことがユーザーに受けていると思いますか。
水俣 まず、うちのユニットを使うと施工が早い。3日かかるところが1日半で出来ます。現場施工は会社の職人でやらせています。大東建託さんの物件はうちで施工しています。やはり製品と施工を同時に頼めるメリットがあるので住宅会社もその方がいい。材料を用意して施工屋さんを頼んでやると大変です。我々もその方が効率がいいので工事後の鉄筋残材の片づけとかも全部して帰ってきますので、非常に喜んでいただいていると思います。